こんにちは🌷
運動音痴だと、他の事もできないイメージを持たれてしまうことがあります
運動が苦手でもそれを人に感じさせないようにする方法はあるのでしょうか
そして運動が苦手な子を育てる時、親の接し方はどうすればいいのでしょうか
運動音痴に見えないためには
- 少し早口で話す
- 普段の動きを早くする
- 運動音痴を隠さない
運動が苦手な子を育てる時の親の態度
- 運動ができなくてもダメ出ししたりガッカリしたりしない
運動音痴
私は運動音痴です
小さな頃から体育は苦手でした
運動ができないというのはこういう人を言うんだろうという典型です
- 徒競走はいつもビリ
- 逆上がりができない
- 二重跳びもできない
- 跳び箱もとべない
- 泳げない
- ドッヂボールはすぐ当てられる
- キャッチボールができない
書き出してみるとひどいですね💦
でも事実です
自分で言うのもなんですが、こんなにできない人はそんなにいないのではないでしょうか?
人と話しをする時に

私運動苦手なのよ~
という人がたまにいますが、だいたい私の話を聞くと

うーん、もう少しできたかな💦
となります
「泳げない」という人は、私に言わせるとだいたいが「泳げるけど、息継ぎできない」なのです
本当に浮くことができない人(いわゆるかなづち)にはなかなかお目にかかれません😅
学校では
学生時代、特に小中学生の頃というのは、運動ができるかどうかというのは結構重要です
活発でクラスの中心の子やモテる子というのは運動ができる子というのが定番です
今はどうかわかりませんが、私が子供の頃はそうでした
運動ができないと運動会でも活躍できないし、球技大会では足を引っ張ることも多いです
実際球技大会で

えー、お前が一緒かよ💦
と言われたこともあります
そう考えると運動がここまでできなかった私はさぞやひっそりと過ごすような子だったと思われると思います
が、
実は違いました
モテてたかは置いといてー💦
決しておとなしいわけでもなく、どちらかというと活発だったと思います
運動ができなかったことでいじめられたりいやがらせをされたこともありません
大人になってから
大人になったら人に運動している姿を見せることも少なくなりました
正直黙っていればバレません😁
たまに会話で

私運動音痴なのよねー
というと驚かれます
どうやら、運動ができそうに見えるようです
そこでふと考えました

なんでこんなにどんくさいのに、そうは見られないんだろう?
私なりの分析では
人は話す速度や日常の動きでイメージが出来上がるような気がします
運動となると素早く動けない私ですが、性格がせっかちだからか、日常の動きは結構速いと思います
おしゃべりも好きなので早口で話します
そんなところがイメージとして
「運動もできそう」になっているのかもしれません
運動音痴を隠さない
運動が苦手な人はできない自分を隠そうとする人が多い気がします
もしかしたら子供の頃に運動ができないことで嫌な思い出があったりして、つい隠してしまうのかもしれませんね
でも、人と付き合っていくのに「運動音痴」なんて関係ありません
むしろ、
できなさすぎのエピソードは笑ってもらえたりして、空気をなごませることすらあります
苦い思い出を笑いに変える開き直りも必要かもしれませんね
親の対応
私の両親は、私ほど運動神経が悪かったわけではなさそうでしたが、運動音痴の私に対して
ダメ出しをしたり、かわいそがったりしたことはありませんでした
徒競走でビリだった時も、逆上がりがクラスで最後までできなかった時も、
親にダメ出しされたりしなかったし、ガッカリした顔を見せたこともありませんでした
(実際はガッカリしたでしょうけどね)
いつでもただ笑ってみてた気がします
そんな親の態度は私に必要以上のコンプレックスを植え付けずに済んでいるのかもしれません

私の子育てはどうだったかな?
子育ても終盤戦になって振り返ってみると
私は子供にダメ出しもしてきたし、ガッカリした顔も見せてしまった気がします
ダメな親ですね💦
うちの子たちは幸い私に似ず、運動は得意な方です
応援も思い切りしてきました
ただ、自分ができない分期待をかけてきたような気がします
怠けていると

せっかく運動神経がいいのに、もったいない!
と言ったこともあります
今頃それがダメだったなーと気づいても遅いですね💦
こんな年になってからわかることもあるものなんだなー、と
オリンピックを見ながら運動音痴の私が感じたことでした
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